長崎県知事中村法道 さま
佐世保市長朝長則男 さま
佐世保水道局長川久保昭 さま
石木ダム再検討についての抗議と要請
2011年5月10日 日本共産党佐世保市議 山下千秋
昨日(5月9日)、あなた方は、第三回検討の場でもって、最終的に評価対象とした「岩屋川ダム」など複数の案について、コスト、実現性、地域社会や環境への影響などの観点で石木ダム建設計画との"優劣"を比較し、石木ダムが他の案に比べ「優位」にあるとの結論をまとめたとのことです。そしてあなた方は、石木ダム建設を軸に、国への回答に当たる「対応方針」を策定、国交省に報告するとのことです。
私は、あなた方のこの検証のあり方と結論に対して、満身の怒りを込めて抗議します。
そして、あなた方自身がすべき最善の態度とはいったいどういうことなのか、冷静に再考されることを願うものです。
利水論に限って言及します。
第一に、水需要が過大になっているではないか、ほんとうに安定水源が日量7万7000トンしかないのか、という提起にはまともにこたえたものになっていません。
国にも面従腹背、恥ずかしくないのか
第二に、長崎県の態度は国交省に対しても、面従腹背の二面的態度をとっています。以下3点ほど事例を紹介します。
① 「予断をもたない」といいつつ、平成19年再評価委員会でもちいた基礎データで再検証し、平成28年度水需要予測を過大に見積もったままです。
平成19年度に確認した水需要予測は、平成19年、20年、21年の実績値と早くも大きくかい離し、しかもそのかい離はいっそう拡大するという事実に直面しても、見直しをしませんでした。石木ダム必要に導きたいという「予断に満ちた」すすめ方です。
② いくつかの水資源確保の組み合わせなども、「実施要領細目」(国交省)は示しているにもかかわらず、それらの可能性の探求はいともあっさりと放棄し、あるいは無視し、「岩屋川ダム」建設代替案などあくまで日量4万トンとのコスト比較にとどまっています。
真剣に佐世保市の水資源を解決する立場ではなく、最初から石木ダム建設こそが目的だから、つまり「予断をもっている」から、このような態度になってきたものです。
③ その一つでもある、佐々川の既得水利の合理化・転用も一顧だにしていません。
第三に、実現性の検証は、「細目」も求めている重要な柱です。それに対して「8割の地権者の協力を得ていて、残りの理解が必要」と答えているだけです。問題はその見通しが問われているのであって、真摯な再検討とは、「とても協力を得られる見通しはありません」とすべきです。
3年前には進捗状況によっては別の道を探るといっていたではないか
平成20年2月15日付で行った「佐世保市水道施設整備事業再評価委員会の再評価結果について(公告)」で当時の吉村敬一事業管理者は「再評価を行う中で、事業着手以来30年が経過しており、今後、進捗のないまま年を重ねるにも限度があり、どこかの時点で実現の可能性を判断し、場合によっては別の道を探る必要があるとの意見があった。重要な意見と捉え、今後の進捗状況を見ながら十分な検討を行う。」と報告しています。
この判断の直後に最終的決意として、計画したのが平成28年度を完成年次とした8カ年工程表でした。そして21年度から付け替え道路工事に強引に突入したものの、反対地権者の土地所有の前にストップしたまま、たち往生しているのが現状です。
8カ年計画を4カ年で達成できる技術上の進歩はどこにあるのか
第四に、技術的に可能かという課題とも関連してきます。再検証でもあくまでも完成年次は平成28年度です。この時点で土地所有問題が解決とした(現実には100%ありえないことですが)としても、工程表が半減されてなお28年度までに完成させることが技術的に可能なのか、県自身が招いた矛盾ではあるが、このことについてもひとことも言及がありません。
公益性はどこにもない、大震災被災者や救援と復興に努力する人たちに顔向けできるのか
第五に、公共事業は公益性がなくてはなりません。人々の賛同と共感がなくてはなりません。虚構のもとでは、掲げた公益性はことごとく、実害をともなってきます。
水は足りているのに、足りないとウソ宣伝を行う。佐世保市は、佐世保市民がこいねがっているかのように、市民団体まででっちあげ世論誘導を行ってきました。市民団体の事務局も庁舎内に置く、その運営費用も税金で賄う、事務もまた市職員が行う、市民総決起集会には、勤務中の市職員を割り当て動員してまで「熱気」を演出してきました。
必要もない巨額公共工事にすでに139億の税金投入が、水道料金引き上げの市民負担をもたらしました。
何よりも、石木住民の、憲法上保障されている基本的人権蹂躙の数々は絶対に許されるものではありません。その反省のかけらも再検討にはみることもできません。
「8割の協力者の気持ちにこたえなくてはならない」などの再検討の評価には怒りを禁じ得ません。どれだけの圧力と札束攻勢、道義上もはばかれる接待などで、こぎつけた8割の協力者の到達であったことか、知る人は知るです。こんな道義上も反するすすめ方が、子どもたちに及ぼす教育上の視点からも、あるべき社会の姿とは全く相反するものです。公益性はどこにもありません。
今、すべきは東日本大震災、深刻な原発事故で苦難に直面する人たちへの救援と復興にこそ、国の持っているすべての力を投入する、この人間的きずなこそ求められています。
この時に、この非道義的「公共工事」は直ちにストップすべきです。
あなた方が行っている今の態度を、被災者が知ったらどんなお気持ちになられるでしょうか。また、義捐金に応えたり、ボランチアで支援で現地に出向き、頑張っている全国の多くの皆さんがたが、あなた方の態度を知ったらどんな思いになられるでしょうか。
「今後、進捗のないまま年を重ねるにも限度があり、どこかの時点で実現の可能性を判断し、場合によっては別の道を探る必要がある」(平成20年2月吉村敬一公告文書の一節)
今度の国主導による再検証が絶好の機会ではありませんか。
この旨を国交省報告とされるよう願います。